10000人観衆、ランニングラグビーに酔いしれる (7月28日) フィジー・バーバリアンズがオーストラリア・バーバリアンズの後半の追い上げを振り切った。56−38、ナショナルスタジアム(スバ)。 スーパー12のプレーヤー、8名を含むオーストラリア・バーバリアンズは堅いディフェンスとワラビーズ張りのショートラインから先手を取った。しかし、フィジーは自由奔放に走る、まさに往年のフィジー・スタイルを謳歌するようなランニングラグビーを披露し、8トライを挙げ勝利した。両チームのランニングラグビーに10000人の観衆は酔いしれ惜しみない歓声を送った。 2年ぶりに15s代表にカンバックしたワイサレ・セレビはチームワークに徹したキャプテンシーを見せまた、人気のビル・ザブバティは2度のステップを交えた怒涛のランニングで観衆の声援に応えた。
フィジー・バーバリアンズVSオーストラリア・バーバリアンズ 日程決まる (7月18日)
選手の気持ちがひとつになった勝利 フィジー国民が望んでいた勝利 (7月10日) 決勝直前、ホテルから競技場へ向かうフィジーチームのバスの中では、誰とも無く歌いはじめたゴスペルの合唱が続いた。前日までの南国特有の明るく人懐っこい表情はもうどこにもない。まさに戦いに挑む戦士に皆、変身していた。まるでフィジーマジックにかかってしまったようだった。 優勝後、ホテルへ向かうバスの中でも戦士の歌が続いた。しかしそこには試合前とは全くの別人、そして人懐っこい本来のフィジアンに戻っている選手の姿があった。嬉しさのあまり車内で踊りだすビッグ・ビル(ビル・ザブバティ)は、信号待ちのバスを見つめる人から多くの笑いを誘った。 ホテル到着後の優勝パーティでは余興担当のビッグ・ビルが、誕生日を迎えたチームメイトのバースデーケーキを用意していた。 フィジーの首都、スバで政治反乱グループによる国会人質事件(クーデター)が勃発した昨年5月19日は、パシフィック・リム2000大会のフィジーVS日本(秩父宮)の試合前日だった。幸い試合に勝ったものの、選手の動揺は隠せなかった。それ以降、テストマッチのキャンセルが相次ぎ、またワールド・セブンスでの不振、監督の突然の辞任など悲しいほどに暗いニュースが続いた。しかし、今日のフィジーの優勝はそれらの悲しい出来事を拭い去り、フィジーラグビーを前進させることになるだろう。 フィジーで放映された決勝戦のライブ放送に歓喜したフィジー国民に、明るい話題を提供してくれた。 苦難を乗り切った選手に改めて感謝したい。 Thank you for the boys !! そしてなによりも暖かい声援を彼らに送ってくださった、日本のファンの皆様へ感謝いたします。−FRFU広報− 本当に嬉しい、フィジーファンの声援に感謝 グレッグ・スミス (フィジー代表キャプテン) (7月8日)
フィジー初優勝 パシフィック・リム・チャンピオンシップ2001 (7月8日) 南太平洋の覇者争いに決着がついた。パシフィック・リム・チャンピオンシップ決勝でフィジーがサモアを28−17で下し、初優勝した。試合は前半からPKの奪い合いとなったがフィジーのキッカー、ニッキー・リトルが冷静にキックを決め着実に加点した。また、後半にはサントリー(日本)に所属しているアルフィー・ウルイナヤウがサモアのディフェンスを巧みなフットワークで潜り抜け、フィジー唯一のトライを挙げ観衆を沸かせた。 一方のサモアはインガ・ツイガマラ(元オールブラックス)の勇猛果敢なタックルで一時はペースを掴んだかに見えたが、フィジーの堅実なフォワード・プレーがサモアに隙を与えなかった。 三位決定戦は日本がカナダを破り三位を確保した。日本はカナダとのテストマッチとしては最多得点差での勝利。 (決勝)
(三位決定戦)
海外チーム受け入れの影の立役者 (7月7日)
日本のラグビーファンへメッセージ (7月7日)
パシフィック・リム・チャンピオンシップ決勝へ向け、始動開始 (7月6日) 8日の秩父宮ラグビー場での決勝戦は両チームにとって特別の思いがある。今回の南太平洋予選でのフィジーとサモアの戦績は1勝1敗。まさに今年の南太平洋チャンピオンを決める一戦でもある。両チームは南太平洋の覇者を競い合ってきた古くからの良きライバル。パシフィック・リムの優勝を争うということと同時に、南太平洋の威信をかけたゲームであることを強く意識している。
カンタベリージャパンがフィジー応援フラッグを販売 (7月6日) パシフィック・リム・チャンピオンシップ決勝(7月8日、秩父宮ラグビー)にあわせて、カンタベリーショップ青山店、試合会場内カンタベリー特設店にて限定100本の「フィジーラグビーフットボール協会公式フラッグ」を販売する。日本での販売は初めて。500円。 パシフィック・リム・チャンピオンシップ決勝戦の見所 (7月6日) グレッグ・スミスのキャプテンシーに大きな期待がかかる。前コーチの突然の辞任によりチームのリーダーとしての責務はあまりにも大きい。 また、スピードスター、フィリモニ・デラサウ(ウイング)の快足に期待したい。スーパー12(クイーンズランド・レッズ)で活躍しているジェイコブ・ラウルニ(ハーフバック)の素早いタイミングからのパスとスタンドオフ、ニッキー・リトルの好判断でビリアメ・サタラ(センター)が突破口となりスピードスター、デラサウ(ウイング)またはノーマン・リガイリ(フルバック)へつなぐというのがもっとも確率の高いフィジーの得点パターン。 フォワードではサイモン・ライワルイ、アピ・ナエボの両ロックの安定したボールキープとビッグビル(ビル・ザブバティ、プロップ)がサモアのスクラムを支えることが出来るかどうかが大きなポイントとなる。 この条件が揃えばフィジーに充分な勝機がある。 また、フィジー代表新コーチ、イフェレミ・タワケは1996年、60−0でフィジーがサモアを記録的大差で撃破した当時の主将。サモアの手の内を知り尽くしたフィジー新コーチと、1987年ワールドカップで選手として優勝経験のあるサモア、アシスタント・コーチ(マイケル・ジョーンズ)との対決も楽しみ。
エプソン・カップ決勝・・・フィジーVSサモア 壮絶な歴史、パシフィック・トライ・ネーションズの再現 (7月6日) フィジー、サモア両チームはスーパー12やヨーロピアン・カップでお互いを知り尽くしている選手が多く、宿泊のホテルでは両選手仲良く雑談の風景も見られる。 しかし、いざ試合となればフィジー、サモア、トンガの対戦では、一般的な実力評価だけでは語りきれない要素が常に試合を大きく左右する。試合直前の選手の高揚意識は、その昔の壮絶な部族間闘争のウォーリアーズ(戦士)に類似しているとさえ言われている。 まさに部族の威信をかけた南太平洋の熱い戦いが7月8日、秩父宮ラグビー場で再現されることになった。
パシフィック・リム・チャンピオンシップ フィジー、サモアが決勝へ (7月4日) 準決勝第一試合は後半戦を制したフィジーがカナダを52−23で下した。 スピードスター、デラサウが評判通りの快足を披露し場内を沸かせ、怪我から復帰したサイモン・ライワルイはフォワードの核となり若手選手を引っ張った。ビッグ・ビルの愛称をもつビル・ザブバティは170kgの巨漢を生かしスクラムを支えた。また、日本で活躍中のアピ・ナエボ(鐘淵化学)、アルフィー・ウルイナヤウ(サントリー)も場内の声援を受け好プレーを見せた。カナダは前半、フォワードが健闘しフィジー・ゴール前に何度か迫ったが、フィジーの好タックルにゴールラインを思ったように割ることが出来なかった。 準決勝第二試合は前半、日本のフォワードが素早い配球で互角に渡り合い、南太平洋の雄、サモアに迫った。しかし、後半に入りサモアのパワーに押し切られた。
(準決勝第一試合)
(準決勝第二試合)
準決勝、当日の朝・・・ (7月4日) フィジー代表、サモア代表ともにリラックスした表情で午前の軽いストレッチを終了。試合直前までの緊張をいかに克服するかという姿勢を大切にしている。
トレーニング開始 (7月2日) フィジー代表は午前中、軽いストレッチ、午後にはタイトな走り込みを中心としたトレーニングをこなした。怪我から復帰したグレッグ・スミス、サイモン・ライワルイ、ビリアメ・サタラなど順調な仕上りを見せた。 日本へ出発直前の代表監督辞任劇でで大きく揺れ動くチームをまとめる、キャプテン、グレッグ・スミスに大きな期待がかかる。また、サイモン・ライワルイの復帰はチームに大きな自信を蘇らせるだろう。 新マネージメントは以下の通り。 団長:フランク・バイニンマラマ(フィジーラグビー協会プレジデント) マネージャー:モセセ・ライルム コーチ:イフェレミ・タワケ アシスタントコーチ:コ−ンウェル・ベグ フィジオ:キャシー・ウォン トレーナー:オリビア・バン・ダーソン マッシャー:ジョー・ツカナ
フィジー代表、日本エアロビクスセンターへ (7月1日) パシフィック・リム・チャンピオンシップ南太平洋代表のサモア(予選1位)、フィジー(予選2位)の両チームが7月1日、日本エアロビクスセンター(千葉県)にキャンプインした。両チームとも明日からトレーニングに入る。 フィジー代表は本国より主食のタロ芋を持ち込み、選手の食習慣に気を使っている。 パシフィック・リム・チャンピオンシップ組み合わせ 日本ラグビーフットボール協会ホームページ (6月29日)
パシフィック・トライ・ネーションズ〜パシフィック・リム予選 最終順位 (6月29日) 上位2チームがパシフィックリム・チャンピオンシップ準決勝(東京)へ進出
フィジー代表コーチ、突然の辞任 (6月29日) フィジー代表コーチ、グレッグ・スミスはパシフィック・リムを目前に、辞任を発表した。 昨年5月19日に勃発したクーデター事件以来、国政は安定しつつも経済悪化により、かつて経験したことの無い苦難に遭遇しているフィジー代表チームは、大きなハンディを背負った再出発だったといえる。また、テストマッチの相次ぐキャンセルにより資金面でも苦難を強いられている。 そんな中での代表チーム・コーチの辞任は、今後の代表メンバーへの士気のも大きな影響を与えることになるだろう。
2001年 6月 2001年 5月 2001年 4月 |
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