フィジーラグビーの歴史


“シンビ”の起源
試合直前のパフォーマンス、ウォーダンスの起源に迫る。


フィジーは、ラグビーが主要スポーツである世界でも数少ない国のひとつです。ニュージーランド、ウェールズ、サモア、トンガ、クック諸島も同様にそのひとつです。
フィジーへのラグビーの伝来はビティレブ島、バ地区を統括していたヨーロッパの憲兵隊とフィジー軍隊により行われた試合が最初と言われ、これを報じたプレス誌によりさらにラグビーが浸透しました。当時はまだほとんどのチームは海外駐在員のプレーヤーが中心でした。

1904年
正式に登録されたフィジーで最初の公式戦が警察と軍隊により行われる。

1907年
A.C.ホームズ、他3人のニュージーランド・プレーヤー(NZワイララパ・クラブ)がスバのアルバート公園で試合を行ったが、そのプレーと指導力はフィジーラグビーを形成する基礎となった。

1911年
英国軍艦の訪問にあわせ船員との本格的な試合に備えるためフィジーで初めて“クラブ”が組織された。

1913年
スバに大型ホテル建設のためニュージーランドから建築技師が派遣された。その中のひとりがダニーデン出身の配管工員でオタゴの元の監督、シェーハンでした。彼はフィジーを訪れると同時にフィジーでのラグビーの必然性を見抜き、ほどなくしてパシフィック・クラブを創設。クラブ・ボードのミーティングでは早速、多くのクラブ立ち上げの計画案が検討されその結果、パシフィック・クラブ、士官学校、レワ・クラブの3つのクラブが正式に発足。後にこれらの3クラブが「フィジー・ラグビー・フットボール協会」の前身となった。そして、シーハンは会長に任命された。また、当時の総督アーネスト・ビッカム・エスコット卿は、クラブ選手権開催に尽力し、エスコット・シールド(杯)を寄贈。大会はパシフィック・クラブが優勝。この大会は、その後から現在に至るまで約100年近く、スバ協会主催の大会として引き継がれている。

1914年
ラトゥー・エペリ・ガニラウ大酋長により「フィジー・ネイティブ・ラグビー協会」が発足し、フィジー人によるフィジー人のための大会が初めて開催される。タイポウ・クラブ、タリレレ・クラブ、ヒル・クラブ、ポリス・クラブが参加。

1915年
フィジーの実業家、J.J.デービスはデービス・カップを創設し、新たな大会を開催。優勝はタリレレ・クラブ。また同年、「フィジ−・ネイティブ・ラグビー協会」は「フィジー・ラグビー・フットボール協会」と提携し、フィジーラグビーの発展に寄与することになる。

1924年
フィジー代表チームの最初の海外遠征(トンガ王国)。8月、トンガへの長旅の途中、サモアへ立ち寄りアピアでのサモア代表チームとの試合が、フィジーラグビー史に残る最初の国際試合。試合は船のスケジュールの都合で、早朝7時のキックオフ。グランドのハーフウェイには目印として大木が立てられた。。試合は6−0でフィジーが初めて国際試合で初勝利を挙げた。

1926年
2回目の海外遠征(ニュージーランド)。オークランド大学との一戦では初めて、フィジーがココナッツのロゴマークの入った白いユニフォームを纏い、これが現在のフィジー代表チームのユニフォームの原型となる。

1928年
フィジー学生大会が始まり、1939年に「フィジー・学生ラグビー協会」が発足。しかし、スバ地区以外ではクリケットが盛んであったため「フィジー・学生ラグビー協会」の活動はスバ・ナウソリ地区のみを中心に展開された。「スバ以外でゲームを設立することが非常に難しい。なぜなら、ほとんどすべての適当なグラウンドは、すでにクリケットピッチを持っているから。」

1938年
ニュージーランド・マオリ・チームがフィジーへの最初の外国遠征チームとして来島。この時、フィジーの選手は初めてシューズの威力を知りそれ以降、試合途中で履き慣れないシューズを脱ぎ捨てる習慣を止めたといわれる。マオリ・チームはフィジー選抜(二軍)とフィジー在住ヨーロッパ系代表に勝利し、フィジー代表との3試合でも勝利。

1939年
ニュージーランドへ遠征を決行。多くのフィジー選手はニュージーランド到着後も未だ裸足の習慣が忘れられず、人々はそれをやさしく見守っていた。初めて見る大観衆の前でたじろぐ、愛くるしいフィジーのプレーヤーであったが、いざ試合が始まると彼らの自由奔放なプレーはニュージーランドの人々の度肝を抜いた。とくにハミルトンでのマオリ代表との最終戦ではフィジーラグビーの素晴らしい展開が尽きることは無く、14−4で劇的な勝利を飾り、喝采を浴びた。「ここ数年来、ハミルトンでの試合の中ではもっとも見ごたえのあるエキサイティングな試合だった」「フィジーのラグビースタイルは、ダイビングしながらボールの処理をするなど、まるで創造の域を超えている。そして選手は試合を大いに楽しむかのように底抜けに明るい。また、時には容赦なく稲妻のように駆け抜けてゆく。輝くフィジーのプレーに観衆は興奮した。」「フィジーが世界ラグビーにおいて、大きな役割を果たすことは運命づけられた」と各紙が称えた。戦績は7勝1分。フィジー近代ラグビーの幕開けともいえる歴史に残る遠征だった。また、この遠征から試合前の勇壮なパフォーマンス「シンビ」が始まった。

1945年
「フィジ−・ネイティブ・ラグビー協会」は「フィジー・ラグビー・フットボール協会」へ統合。スバ地区だけは独立協会を1953年まで維持。

1951年
ニュージーランドのフィジーへの2回目の遠征が決行された。ニュージーランドの8勝5敗2引き分け。


1952年
オーストラリア・ラグビー協会の復活を目指し、フィジー初のオーストラリア遠征が決行された。1勝1敗。

1954年
フィジーのオーストラリアへの2回目の遠征が決行された。1勝1敗。

1957年
フィジーのニュージーランド遠征が決行される。オークランドを38−17で破る。

1963年
正式に「フィジー・ラグビ・フットボール協会」が発足。1971年現在、750のクラブと10000人のプレーヤーの登録を受理。

1964年
フィジーの初めてのヨーロッパ遠征が決行された。

1970年
自由奔放なフィジーラグビーのスタイルはゴスフォースにてバーバリアンズを29−9で破る。

1974年
スバで行われたニュージーランドとのテストマッチで、フィジーは終了間際の逆転トライでニュージーランドからの初勝利を逃す。ニュージーランドが14ー13でフィジーを下す。

1977年
第2回香港セブンスで初優勝。遠征中のブリティッシュ・ライオンズを25−21で下す(スバ・ナショナルスタジアム)。

1982年
バンクーバーXVとの一戦での勝利を皮切りに、1984年までの国際試合で15連勝を飾る。

1987年
第1回ワールドカップ準々決勝、フランスに惜敗。試合直前にスバでクーデター勃発。

1990年
香港セブンスで1992年まで3年連続優勝。いずれも決勝戦ではニュージーランドを下す。

1991年
第2回ワールドカップでは予選リーグで惜敗。

1997年
第2回7人制ワ−ルドカップ決勝、南アフリカ戦を劇的な逆転勝利で飾り、初優勝を遂げた。

1999年
第4回ワールドカップで決勝トーナメント1回戦、フランスに28−19で敗れる。この試合でのフィジーへのレフリー判定ミスを認める公式コメントが翌日の各誌で公表された。世界ランキング9位。

2000年
パシフィック・リム選手権でサモアに続き2位を確保。
第3回7人制ワ−ルドカップ、決勝でニュージーランドに敗れ準優勝。



HOME






ご意見、フィジー代表チームへのメッセージは、フィジーラグビーフットボール協会(日本人広報委員)へ
info@fijirugbyunion-jp.com (日本語)

English inquires or message to Fiji National team should be addressed to promotion officer (Fiji Rugby Football Union)
info@fijirugbyunion-jp.com
(English)

fijirugbyunion-jp.com に掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。
すべての内容は日本の著作権法並びに 国際条約により保護されています。

Authorized by Fiji Rugby Football Union and Teivovo.com Teivovo.com.
All rights reserved. No reproduction or republication without written permission. 
Copyright (c) fijirugbyunion-jp.com